後見開始審判チョッと気になるデータⅡ(恐ろしい事実1)

前回の予告通り、最高裁事務総局家庭局の「成年後見関係事件の概況」から分かる2つの恐ろしいデータの1つを紹介します。「鑑定比率の低下です。」というより、無視化と言ったほうがよいかもしれません。「成年後見関係事件の概況」では、平成19年から鑑定の実施比率が登場します。37%でした。
家事事件手続法(第119条第1項)には、「家庭裁判所は、成年被後見人となるべき者の精神の状況につき鑑定をしなければ、後見開始の審判をすることができない。」と書いてありますから、平成19年までは、実施するのが当然という意識がまだ存在したものと思われます。 しかしそれが、いきなり、37%で登場し(恐らくそれまでも低下していたかもしれませんが、数字がありません。)以降毎年、各家裁、各裁判官が鑑定飛ばしを競い合うかのごとき様相となり、とうとう今では8%となっています。審判の92%では、法の求める鑑定をしていないということです。
なぜ明文に反することができるのでしょうか?それは、先ほどの家事事件手続法の第119条には「ただし書き」がついております。「ただし、明らかにその必要がないと認めるときは、この限りでない」このただし書を最大限活用して、条文の趣旨を有名無実化してしまっているのです。鑑定手続きを省くことにより、成年被後見人作りの確実化・迅速化を競い合っている構図が見えてきます。
「必要がない」と誰が認めるというのでしょうか?それを判断するのが鑑定ではないのでしょうか?診断書でよいとはどこにも書いてないのです。
成年被後見人となると、銀行預金が下せない、不動産の売買ができない、訴訟ができない、契約ができない、遺言も書けない、弁護士、医師など国家資格が剥奪される、取締役の欠格事由となるなど身の回りの買い物以外ほとんど何も一人ではできなくなります。たとえ一見して誰が見ても必要がないとみえても、急ぐ事情がなければ、踏むべき重要な過程ではないかと思います。
人の権利を剥奪する重要な判断過程を明確な理由なく省いてしまうのは、本人の意思の尊重、ノーマライゼイション、自己決定権の尊重など成年後見制度の導入の理想からは、とても想像ができない権限の乱用です。
平成25年の名古屋高裁の決定で、この「鑑定飛ばしが問題視」され、後見開始審判が取り消され、津家裁四日市支部に差し戻されるという事件がありました。この警鐘によって一時的に鑑定比率の低下は10%程度で止まりましたが、再び低下を始め、現在の8%に至っています。当該事件の本人は、差戻審判において鑑定が行われ、認知症は軽度と認められ、補助相当とされました。補助開始の審判は、本人の同意が必要ですから、同意をせずやっと解放されることになりました。少し逸れますが、この事例は、誰か(できる人は、いっぱいいます。本人、配偶者、4親等内の親族、保佐人など、検事そして市町村長。)に申立てられ不幸にして意思能力がまだあるのに、鑑定なしに成年被後見人の審判が下された場合の対応として重要です。
審判の告知から2週間以内に即時抗告を提出して、高裁の判断を受け、差戻の上、成年被後見人ではなく補助相当と認めてもらうことができれば、法定後見の網から抜け出すことができます。
前々回「後見人ってどんな人?」で、歌舞伎や能の後見人のように後ろにいる控えめな人ではなく、前で厳然として立つ「有償の門番」であること、一度付くと一生付いてくるということ、しかもなかなか家族の言うことを聞いてくれない人が多いと申し上げ、前回は、申立があれば、オートマティカルに短期間でしかも約100%の確率で認容されてることを報告しました。今回は、家事事件手続法の求める鑑定を省く事例が横行している実態を述べましたが、これらを別々にみると「そういうこともあるよね」とも思う方もいらっしゃるかも知れません。
しかし次回報告する、もう1つのデータと三つを合わせるとやはり、恐ろしいなと感じて頂けるものと存じます。