「認知症は死への恐怖を和らげてくれる存在のような気がする」(長谷川和夫、猪熊律子著「ボクはやっと認知症のことがわかった」KADOKAWAより)。「認知症界の長嶋茂雄のような人」といわれ長谷川式スケール(認知症検査法)の生みの親である長谷川和夫元聖マリアンナ医科大学理事長の言葉です。
長谷川先生は4年前88歳の時に、自らが認知症であることを公表されました。認知症研究の第一人者が自ら認知症になられてのご発言は認知症への恐怖を抱く人々に勇気を与えてくれました。「認知症になって良いこともあるんだ」。しかし先生はこう続けています。「認知症は暮らしの障害です。周囲の人や社会がその障害を取り除くために本人に合った知恵や工夫(パーソン・センタード・ケア)で助成することが大切である。」と、支援者側の身勝手な支援ではなく本人の意思を尊重してケアすべきとのご発言は、大変重要なものでケアを担う周囲の人も社会も拳拳服膺すべき言葉であると思います。
しかしソロモンの場合は、もっと困難です。認知症有病者となったときに暮らしの障害を取り除くため、本人に合った知恵と工夫で助成してくれる人は周囲に存在するのでしょうか?
親類が居ても遠くに居ては難しいし、身寄りのない人も多くおられます。
ソロモンの多くは、やはり公的なサービスに頼らざるを得ません。
しかし誤解を恐れずに申しますと、公的サービスにパーソン・センタード・ケアまで求めるのは中々難しいことが現実です。成年後見人制度は、家裁の監督の下、被後見人の財産処分を勝手に決める制度です。
Nothing about us without us !(障害者権利条約の理念)と対極にある制度です。公的サービスだけに頼らずに パーソン・センタード・ケアをしてくれる人を確保するために必要な相応の貯えを用意できる人は用意しておくことが、寿命GAP(平均寿命と健康寿命のGAP)期間を生きる上で大切な準備であると思います。
ここで重要な論点は、相応の貯えが有っても意思能力を喪失した人は法律行為が無効(民法3条の2)となりますので、自分の預金であってもその払戻し、自分の不動産であってもその売却、その他の契約行為が出来なくなることです。
従って、幸いにして相応の貯えを有しているソロモンであっても認知症で「意思能力を失う前に」何も準備しなければ、結局、成年後見人等を含む公的サービスに身を委ねるしかないのです。
ソロモンが百歳まで生きるための第1の問題の解決法は、「意思能力を失っても自分の資産を自分のために使えるように意思能力を有している間に準備しておくこと」です。
どのような準備があるかについては、次回ご案内することとします。
ソロモンの時代2-意思能力喪失に備える-