任命拒否の経緯について説明不十分とする意見が7割(日本経済新聞社とテレビ東京は23~25日に世論調査)に達していると報道されました。任命拒否された学者及びその関係者がそう感じるのは、やむを得ませんが、国民は、もう少し冷静にこの問題の本質を「総合的、俯瞰的」(政府が連発している。)に考えるべきです。
この問題は、主権者たる国民が、「この国のかたち」を見つめ直すよい機会なのです。政府は問題提起でよいのです。簡単に事情なんぞ説明して、議論を終わらせたり、逆に些末な論点(森かけ桜のように)で炎上したりしては、どちらもいけないのです。
随想「この国のかたち」において、司馬遼太郎は次のように言っています。
「世界に日本が存在してよかったと思う時代がくるかもしれず、その未来の世のひとたちの参考のために、書きとめておいた。」
ノーベル賞は、1901年に始まりました。日本人受賞者は、外国籍の人を含め30人を数えます。人種的偏見、言葉の問題、枢軸国であったことなど多くのハンデを抱えながらも累計で米英独仏に次いで世界第5位、アジアではインドの6人(第2位)を大きく引き離してダントツの第1位です。特に21世紀に入ってからの受賞者数は、米国に次いで世界第2位となっています。
ノーベル賞を受賞したから偉いのではなく、その研究と業績が人類に貢献したことを、世界に認められたことが称賛を受ける理由だと思います。21世紀を司馬はみることなくこの世を去りましたが(1996年)、まさに司馬の言う「世界に日本が存在してしてよかったと思う時代」が来ているということかも知れません。
しかし司馬はこうも言っています。
「おろかな国にうまれたものだ、とおもった。昭和初年から十数年、みずからを虎のように思い、愛国を咆哮し、足もとを掘りくずして亡国の結果をみた。自国を亡ぼしたばかりか、他国にも迷惑をかけた。」それを司馬は、「日本史はその肉体も精神も、十分に美しい。ただ、途中、なにかの異変がおこって、遺伝学的な連続性を失うことがある」と「遺伝学的に連続性を失った異変」とした。
今が異変なのか、昭和前期が異変なのか、そして仮に司馬の言う通りだったとして、また異変は起きないのか?
日本学術会議問題は、「この国のかたち」を「総合的、俯瞰的に」考える好機なのです。
政府、国会にとどまらず、マスコミも学術会議を含めすべての国民が、些末かつ不要な方向の議論に向かうのではなく、「この国のかたち」を考える良質の議論を交わすことを期待しています。