103万円の壁引上げは、世紀の愚策2-大学の授業料引下げへの産官学の努力必要、1.官の努力について-

18年9月に東京工業大(現東京科学大)が国立大として初めて公表して以来、東京芸術大、千葉大、一橋大 と続き、昨年東大も授業料20%の引上げを発表した。日経新聞の調査によれば、全国国公私立大学の約4割がすでに引上げたか、引き上げを検討中という。理由は、教育環境の改善、人件費・光熱費の値上がりである。著名大学だから上げられるが、運営費交付金を削られ続けている地方国立大学は、それもかなわず、窮乏化の一途だ。実験機器の買い替えも滞り、老朽化で学生が困窮している様も報道された。さらにまた私学経営は少子化もあり年々厳しさを増している。「学生も苦しいが、大学経営も苦しい。」
103万円の壁が提起している問題は、「手取りを増すこと」「もっとバイトができること」で済む問題ではない。むしろ数兆円に及ぶ大きな財政負担をしてまで、有為な人材(学生)を「バイト労働者」に追いやるだけの世紀の愚策である。人材立国というこの国のかたちを崩壊させる亡国の愚策ともいえる。前回は、JASSO奨学金の給付型の大幅拡充を提案したが、今回は、元となっている高額授業料にフォーカスして提案したい。
 ご存知の諸兄もあると思うが、昭和46年(1971)当時の国立大学の授業料は月千円(年間1万2千円)であった。当時のビッグマックは200円、1か月分の授業料は5個分、年間なら60個分だ。東大の授業料は今年から64万2960円、ビッグマックは480円だから実に1339個買えることになる。国立大学の授業料は、デフレだった30年間においてすら、ひたすら上がり続け、なんと53.6倍になっているのである。因みにビッグマックは2.4倍。
 昭和47年国立大学の授業料は、なんと3倍に値上げされた。といっても月千円が3千円になっただけだが、それでも全国の大学は、授業料値上げ反対の学生運動で大荒れに荒れた。その後過激派の運動に繋がっていくがそれはここではおく。あれから50年、さしたる抵抗のなく64万円を越えたのである。
「量の変化は質の変化を伴う」、これだけの大きな変化は、何かが根本的に変わったのである。それは、「人材投資への国の考え方」ではないか。この国のかたちを見誤った方針転換である。
 現在運営費交付金は、年間約1兆1千億円投じられている。東大の822億円を筆頭に京都561億円など旧7帝大、筑波などが並び鹿屋体育大学の13億円まで双曲線を描いて傾斜配分されている。東北、北海道、九州を除き地方国立大はずっと少ない。103万円の壁に8兆円も費やす位なら、運営費交付金を大きく見直してはどうか?8兆とは言わないが総額を2兆円に増額し、地方大学はより底上げする改革が望まれる。現在でも東大は収入の3割が運営費交付金であるので、これが増えれば、授業料値上げどころか、値下げしてもおつりがくる。地方大学が充実すれば、都会に行かずとも地元で学べる。それで大学進学が可能になる人材もいるのではないか。地方創生というのであれば、地方大学を廃れるままにしておくわけにもいくまい。明治維新は地方の下級武士たちがもたらした改革である。地方にも多くの人材が眠っている。稲盛和夫は鹿児島大学、本田宗一郎は静岡県磐田郡の出身だ。
 大学改革は、官だけでは終わらない。当の大学の経営も、国公私を問わずエンダウメント型経営に生まれ変わる必要がある。これは東大や一部私大で、試験的に行われているが、根本的に変える必要がある。そして三番目は、産業界の役割である。先ず、エンダウメント型経営について、次回ご紹介したい。