森事件で検証すべき2つのこと①本当に女性蔑視発言だったのか②エイジズムの蔓延

森院政とならずに済み、森氏にとっても川淵氏にとっても日本国民にとっても、よかったと思います。JOCメンバー、その他の皆さまのご尽力に敬意を表します。
 しかし、これで「めでたしめでたし」ではないのです。この問題は、二つの観点からの検証が必要です。
1)そもそも「森発言は女性蔑視発言だったのか」
2)「エイジズム(老人であるが故の差別)」の蔓延は放置してよいのか
川淵さんも80歳以上なのでダメ、選考委員会の御手洗さんも85歳だけど大丈夫か、などエイジズム満載の趣です。それでよいのでしょうか?
1)について
「女性が多くいる会議は時間がかかる」という発言が問題になりました。
よく考えて下さい、この発言は、女性の発言によって長引いた会議のあとの発言であり、「それを途中で制止していない」からこそ出る言葉です。そしてこの会議では現実に女性が発言しその活躍の場が提供され、女性委員が機能していることの証左でもあります。女性蔑視などではなく、女性活躍への評価の一つとみるべき発言なのです。女性のする事なら、すべて容認されるべきということではないはずです。女性活躍が広がるプロセスで様々な感じ方をする人がいることは当然です。それがダイバシティです。批判があってこそ女性の活躍は進化発展するものです。今回の事件を契機に女性の発言が、腫れ物に触るかのように扱われ、必要以上に重く扱われることになると真の女性活躍は停滞することになります。
 森氏は辞任の際、感じ方評価の問題ではないかと述べられたようですが、この問題は、そのように考えることが正しかったと思います。
 それをオリンピック憲章に反するとか、女性蔑視であると大騒ぎし、世界中が一人の老功労者を袋叩きにした。女性蔑視はあってはならないことです、しかし「女性蔑視ではないことを女性蔑視であると宣伝」して批判者を葬ることは、現代版「魔女狩り」です。あたかも女性蔑視発言であるかの如く宣伝した人、事態をよく理解せず女性蔑視だという言葉に踊らされた人は、大いに反省をすべきではないでしょうか?
2)について
 ジェンダー、セクハラ、パワハラはよく聞く言葉ですが、「エイジズム
(老人であるが故の差別) 」は聞きなれない方々も多いと思います。老人だから、老害、産業廃棄物、考え方が古い、新しいことが理解できるはずがない、トロい、など老人を馬鹿にする言葉は枚挙に暇がありません。森事件においても、必要以上に老人が悪者にされています。「女性だからダメ」と言うと世界中が大騒ぎとなりますが「老人だからダメ」と散々口走っても、何も問題にならない社会もまた批判されなければなりません。老人は悔しくても声をあげません。老人は分断されていますのであげるすべもありません。
 先日、ある病院で検査を受ける際に、何かいつも飲んでる薬はありますか?と30代と思しき女性看護師に聞かれて、とっさに薬の名前が思い出せなかったところ、エライ剣幕で、薬の名前は?薬の名前ぐらい覚えておいて下さいね。と怒られました。お宅で頂いてる薬ですから、わかるでしょ?と答えると、ばつが悪そうに調べに行きました。年寄りは、とっさの判断は遅れますが、知識と経験は豊富ですから、そうした面では若い人は学ぶべきことも多いはずです。また、年寄りの努力を礎として、今の日本の繁栄があることも忘れてもらっては困ります。森事件で図らずも表面化した「エイジズムの蔓延」に高齢者の一人として懸念を表明したいと思います。

「若者は元の自分、年寄りは自分の先の姿」お互い尊重し合って生きたいものです。