PCR検査数抑制問題、さいたま市長は何を謝罪したのか?何を謝罪すべきであったのか?

昨日の会見で清水さいたま市長は、
西田さいたま市保健所長が、「病院が溢れるのが嫌だったので、PCR検査対象の選定を意図的に厳しめにやっていた。」と述べたことに対して「誤解を招く表現でおわびしたい」と陳謝した。と報道されました。
耳を疑いました。謝罪すべき問題が違います。逆に西田保健所長のカミングアウトのそのものは、賞賛すべきことです。なぜさいたま市の検査件数がこんなに少ないのか?という市民の苛立ち、疑問に正しく答えてくれたことになります。これによりさいたま市のコロナウィルスへの対処方針が明らかになり、市民は問題の所在を認識することができました。
謝罪し正すべきは、さいたま市の対処方針、現状認識であり、カミングアウトそのものではないのです。

本日清水建設の方が、検査後結果が出る前に急死されたことが報道されました。
亡くなられた後、陽性であるという検査結果が判明したということです。さいたま市の検査方針では、このような重症になってからしか検査してもらえず、やっと検査してもらえたら、もうすでに手遅れであったという不幸が、続出する可能性があります。
さいたま市長は、西田氏のカミングアウトが誤解を招いたと謝罪しましたが、あるべき姿は、従来の検査方針の誤りを認め謝罪すべきです。そうしてこそ改善が期待できるのであって、カミングアウトが、誤解を招いたという事が問題とする姿勢は、現在の検査方針への反省がないという事です。市はこれまでの方針を正しいと思い、これからもやっていくと表明したに等しく、さいたま市民は、暗澹たる気持ちに突き落とされました。
西田氏が述べていたように、病院のベッドが飽和状態となっています。だから、ベッドから逆算して実質の患者ではなく、患者と認定される人を絞っていこうと考えることは間違いなのです。見ない振りや隠ぺいをするのではなく、実態を正確に把握して、足らないベッドにどう対処すればよいかを考えていくべきなのです。逆算していたら、ベッドは飽和状態になりませんが、未検査感染者患者が巷に溢れていきます。「病院が患者で溢れるのが嫌だから、巷に溢れさせる方針で行こう!」そんな行政があってよい訳はありません。そんな医師の裁量が認められるわけもありません。

市民の命と暮らしを守るべき市長としての基本的な資質に疑問を抱かざるを得なくなった謝罪会見でした。
「疾風に勁草を知る」非常時において本物がわかる。
平時の弁舌と非常時の行動、あまりの格差にさいたま市民は鼎の軽さを知りました。

しかし事態はなお進行中です。今からでも遅くないので、さいたま市長は、陣頭に立って、ホテル旅館に軽症者のベッドを確保し、さいたま市の遊休土地(さいたま市役所の駐車場などに野戦病院を建設し、ベッド数を増やす努力をすべきです。
そして県と協力して、県下に3200人以上いる内科医、呼吸器内科医そして看護師OGOBを招集・分担配置を行い、増え続ける患者に対処してください。今ならまだ、汚名を挽回できます。歴史的危機において市民を守ったと記憶されることができます。

逆に、必要な検査をせずに、意図的に巷に未検査患者を溢れさせることは以下のようなことが起き、大変危険です。
①当人の初期の治療機会を奪って生命を危険に晒し、健康に生きる権利を意図的に侵害する
②未検査感染者は、他者への感染の制限を受けず、家族、同僚等に感染を広げる
③透明感染者として、さいたま市民全体を感染の危険にさらす(感染経路不明)
以上のことが、起きると想定しながらもなお、方針を変えず検査件数抑制を意図的にやり続けることで死亡者、感染爆発などが起きた場合、市当局には未必の故意があり、刑事的な責任も視野に入ってきます

さいたま市長に置かれましては、

検査遅れのために、手遅れで亡くなるさいたま市民が溢れないように、職責を果たすようお願いします。