敬老の日に思う-世代間の分断を招かないために―

今日は敬老の日。1966年に祝日として制定され来年還暦を迎える。似たようなものに「国連高齢者デー」があるが、これは高齢者の人権を守り、虐待を無くそうというもので、その保護を訴える位置づけだ。 それに引き換え、わが国の「敬老の日」は国民の祝日とし、長寿を祝い高齢者を敬うという位置づけだ。儒教精神を背景に誠に誇るべき美風だと思う。

 しかし昨今、その美風が少し揺らいでいるように感じるのは、年寄りのひがみだろうか。 朝の電車のシルバーシートは、噓寝の学生とサラリーマンで満席が増えたと感じる。
 まあ、バイトが多忙な学生さん、いろいろと大変な現役世代のご苦労を思うと、そう腹も立たない。しかし最近道を歩いていて、こんな経験をした。「老体は、道をあけろ」と言われたり、別の日には「老人は、出てくるな」などとすれ違いざまに投げつけられた。 「そんなに年寄りに見えるのかな」と少々落ち込んだが、落ち込むべきは、そこではなく、30代、40代の人々の敬老精神が消失どころではなく、敵意を露わにしたところだろう。

 「現役世代と高齢者の分断」が起きているのではないか?

 「俺たちの手取りがこんなに少ないのは、高度成長、バブル景気などでうまく生きた恵まれた世代の奴らの年金や医療費ために俺たちの負担が大きいからだ。」と考える現役世代が増え始めている兆候かもしれない。

 選挙になると民意がみえる。「手取りを増やそう」「社会保険料を減らそう」「消費税を下げろ」という政党のスローガンは、自民党へ向けられているようにみえるが、その向こうには、高齢者がいる。

 厚労省の言う「全世代型社会保障」なども高齢者の負担増とその保障の切り下げが主眼で現役世代の不満が背景だ。

 「日本人ファースト」の次に来るのは「現役世代ファースト」かも知れない。

 「高齢者元凶論」がまかり通り始めそうな気配である

 しかしよく見るとこの「高齢者元凶論」が間違っていることは、明らかだ。

「手取りが少ないのも社会保険料の負担が高いのも、消費税がドンドン重くなるのも高齢者の責任ではない。」

実は元凶は別にいる。正に高笑いしているごく少数の集団が。

その元凶を正さなければ世代間の分断が進み、より物騒な世の中になるだけで一向に国民生活は、よくならない。誰も幸せにならない。

「下部構造が上部構造を規定する。」次回は、それをデータをもって証明し、解決策を提案したい。