子どもと教職員を窮地に追いやる「菅砦の三大臣」

新学期が始まった。ワクチンという盾を持たない学校をデルタ株の猛威が襲う。国民を守るべき砦の主(あるじ)菅氏は、閉会中審査に出席せず、JOC主催のオリパラの歓迎晩さん会には、両方とも出席した。金メダリストに笑顔でお祝いの電話もしたようだ。平時なら、何も問題はないし、緊急事態宣言下においても、必要な対応をした上であれば、目くじらを立てることではないと思う。
 いま必要な対応とは、「適宜、コロナ禍から国民の命を守る方策を講じること」それがなされていなければ、首相の優先順位の判断が問われる。
 残念ながら、菅氏の眼中には、オリパラの安全・安心はあっても、目前に迫る新学期における子供と教職員の安全・安心は、微塵も見えてなかったようだ。

 当然、首相が出ない国会(閉会中審査)は、実効性はなく、建前通りの質疑が交わされたのみで、宛ら政府と野党共同のアリバイ作り、パフォーマンス会場と化して終わった。国難において、国会に選出された首相が国会を軽視又は無視することは、日本国憲法の想定外の大事件である。内閣総理大臣という立場と役割を理解できない人が首相を務めてはいけない。

 デルタ株は、子どもと言えども容赦しない。それが分かっていながら、新学期を前に子供たちの命を守ることに向き合うことなく、菅砦の幹部たちは、主(あるじ)に倣って無策に終始したのである。そして夏休みという最後の好機を逃した。
 ここでいう幹部たちとは、子供の命を守ろうとしない「菅砦の三大臣」とは、萩生田、河野、武田の三大臣のことだ。
 「子供と教職員の命を守る」責任と権限を持つ萩生田文科大臣は、夏休み中、何を考え、何をしていたのか?
 河野大臣は、なぜ教員へのワクチン優先接種を行わなかったのか?医療従事者、そして重症化リスクの高い高齢者優先までは、秩序があった。しかしその後の職域接種という名の無秩序は、力のある法人が、我先にと殺到し制御不能、ワクチンの一時的供給制限という混乱を招いた。
ワクチンの確保に限界があったのであれば、やはり国民の命を守るという観点からは、エッセンシャルワーカーを優先する方針を明確化するべきであった。
 言うまでもなく中堅の働き手は大切である。リモートワーク等と言っても、日々満員電車で通う会社員は多く高い感染リスクを負っている。そういう方々こそ優先すべきという議論も当然だと思う。実際感染者も多い。
 しかし実情は、職域と言うと聞こえはよいが、有力な企業や大大学が力に任せてワクチンを奪取していったというのが実情であり、会社の9割を超す中小企業や個人事業主は置いてきぼり、後回しとなっている。
 政府の言う通り、ワクチンが十分確保されていたのであれば、「てんでんこ」に打っていくことも接種促進、時間短縮という観点からみれば、首肯できる。
そこに嘘があったから、蜘蛛の糸に群がるような混乱がおきたのである。
 河野大臣の責任は、ご本人の認識を遥かに超えて大きい。
 市民社会を守っているのは、医療従事者だけではない。警察・消防・自衛隊等は暗黙に優先された形跡があり、それはそれで結構であるが、「国の将来を担う宝である子供たち」を現場で育成し守っている教職員はなぜ優先されなかったのだろうか?閉会中審査では、ワクチンの確保量を正確に開陳し、混乱や不公平を招かぬように、こうした接種順位について議論され決定されていくべきであった。
 また武田総務大臣は、自治体を統括している。そして教育委員会は県や市の実質管理下にある。学校を守るため、なぜ県や市を指導しなかったのか?文科大臣が動かないならば、つまらない縄張り意識は捨て、文科大臣と協議して学校を守るべきであった。
揃いも揃った「菅砦の主と三大臣」。あなたたちの無策のため子供が危ない!
今からでも、遅くない。緊急事態下にある地域では、解除となるまで、休校もしくは全面リモート授業とするよう決断をすべきである。
 確かに休校には諸問題がある。しかし緊急事態を宣言した以上、緊急事態としての対応はあって然るべきだ。諸問題があるのであれば、その対応を行えばよいのである。
 見える爆弾が、降り注いでいる時に、諸問題があるから学校はやるとは言わないはずだ。見えない爆弾が降り注いでいる現在の緊急事態も、先ず子供の命を守る行動が先にあるべきである。