さいたま市のPCR検査対象の意図的制限は違憲ではないか

さいたま市の西田保健所長は「病院があふれるのが嫌で、PCR検査対象の選定を意図的に厳しめにやっていた。」(KYODO4/10)
と記者団の取材に答えたと報道されました。驚愕し、恐怖で身震いしてしまいました。
欧米、中国その他どこの国でも、他府県でも患者が増えたら病床を工夫する、代わりの施設を用意する、臨時病院を作るなどその対応を考えています。然るに認定患者を産み出さないように官僚がサジ加減して検査対象を操作するなど言語道断です。
「コロナウィルスが患者を作るが認定患者は保健所が恣意的に選ぶ」仕組みです。
「さいたま市では患者には成れますが、認定患者には、なかなかお役人様のお許しが得られず成れません。」完全にアウトです。

病気の疑いがあるときに差別されることなく検査を受ける権利は、生命の尊重、平等権、健康に生きる権利等憲法に保障された基本的人権です。公共の福祉にも反しません。むしろ意図的に検査数をコントロールする事こそ公共の福祉に反する行為です。
つまり病床から逆算して、感染者数を意図的に低く見せかけることは、以下の問題を引き起こし大変危険な行為だからです。
①当人の初期の治療機会を奪って生命を危険に晒し、健康に生きる権利を意図的に侵害する
②未検査感染者は、他者への感染の制限を受けず、家族、同僚等に感染を広げる
③透明感染者として、さいたま市民全体を感染の危機にさらす(感染経路不明)

報道されたさいたま市保健所の行為は、明らかに裁量権の逸脱濫用(そもそもそのような裁量権すらない)があり、違憲・違法
別の事例で分かりやすくご説明しますと、
「有権者が全員投票に来ると投票所が混雑して大変だから、投票に来る人を選別する。」ことが違憲であることは、
たとえ西田氏であっても理解できるでしょう。
今回の行為は、選挙権と同様或いはそれ以上に重要な国民の基本的人権(生命、平等、健康に生きる権利)を行政側の事情で制限した行為であり、絶対に許されることではありません
この行為によって、症状が悪化して亡くならなくてよい命が、失われたり、感染しなかったはずの人が感染した場合は、
そうした事態が容易に想定されたにもかかわらず意図的に行われていた訳ですから、未必の故意があり、刑事的な責任も視野に入ってきます。
理由として述べられた「病院があふれるのが嫌で、」とは西田氏個人の感情なのか、さいたま市の方針なのか不明ですが、いずれにしても、さいたま市は即刻、運用を正常に戻し、被害を受けた人々とさいたま市民全体への謝罪と適切な対応を行うべきです。
もう一つこの行為により、引き起こされた大きな問題は、
正確な患者数を把握できていたら、早期に足りなくなるベッド数を想定して、ホテル等軽症者の受け入れ施設の確保、野戦病院の建設等の手立てを講じる判断ができたはずです。その判断(危機の認知)機会が奪われてしまった。」ことです。
埼玉県においてもこの判断は明らかに遅れてしまっていますが、さいたま市が当初から、せめて千葉市の検査数(さいたま市の4倍)程度の検査を実施していれば、危機の認知時期が県にも、市にも、もっと早く訪れ、ベッド数の確保への取り組みがもっと早く着手できていたのではないか、早期検査で軽症段階で感染者を収容していたら回復も早く、増やしたベッドの回転もよかったはずです。遅きに失したことは、否めませんが、軌道修正して、感染者の実態を把握し、今後予想される感染者の激増に対して、今できる最善の措置を講じて頂きたいと思います。実態に背を向けて虚偽の感染者数をベースに対策を行うなどという事は事態を悪化させるばかりであることを早く気づいてください。市民の命が懸かっています。